プロフィール

どうも、このサイトをマネジメントしている「たく」です。

ここではボクは一体何者なのか、たったったっと、メモッていきます。
差し込み画像は一切ありません、念のため。

東京の下町生まれ、昭和世代

「アラフォー」という単語が生理的にムズムズしてしまうので、「ミドル」を自分の形容に使っております、はい。
現在は中国企業にてゲーム関連の仕事をしています。

経歴的には…

ごく平凡な大学を卒業後、すぐに青年海外協力隊に参加しました。
昔から日本の国外で生活・活躍したいというのがありましたので、その一歩ですね。

まぁ、当時は就職活動に身が入らず、疑問符だらけでした。
数百人規模の大企業へのエントリーや集団面接なんかも経験しましたが、しっくりこなかったです。
同じリクルートスーツを着て、「One of Them」にいる自分が嫌になったのだと思いますね。

「敗退者」と言われれば、その通りですよ。

そんなこんなで、20代前半はアフリカのガーナ共和国で、理数科教師をしました。
遠い昔の話です。

赴任地は小さな農村にある高等技術学校。
校長先生が用意してくれた家には電気もガスも無し。
携帯電話の電波も届かない。

若かりし頃とはいえ、かなり厳しい生活環境だったと思います。
だけど、全然不便とは感じず、「思う存分楽しんでやろう」くらいの勢いがありました。

インターネットから完全に遮断された暮らしは、中々できない経験ですからね。

日中は高校で生徒たちに数学などを教え、放課後は一緒にサッカーに戯れていました。
この時改めて、サッカーが持つパワーを感じましたね。
ボール一つあれば、世界の何処に行っても溶け込むことができる、まさにグローバルスポーツです。

思い出は山ほどありますけど……割愛します。
貴重な2年間はあっという間に過ぎていきました。

帰国後は…

アフリカでは英語をメインで使用していたので、日本でも語学を活かせる会社を探しました。
国内初の就職先は人材派遣業を営む零細企業(今は既に倒産してしまったようですが……)。
そこで日本にいる外国人に仕事を斡旋する人材コーディネーターをしていました。

何だか怪しい肩書きですね。
具体的に何をしたかというと、在日の外国人に、

・仕事の紹介
・生活支援(住居の手配など)
・ビザ取得
・日本語の指導
・通訳

などなど……

日本で困っている外国人をサポートする仕事ですね。
これは海外での生活が如何に大変かを身を持って体験したからこそ、逆に色々と還元してあげられると思ったからです。

加えて、外国人とのコミュニケーションを通じて英語のリハビリをしたかったから。
アフリカンイングリッシュ(失礼!)→グローバルイングリッシュに昇格させる目的もありました。

結論……伸びしろは微妙。
普段の会話+交渉ごとくらいは困りませんが、その上のビジネスの話となると自信はありません。

中国へ…

20代最後の春、中国に挑むため、大連にある日系ゲーム会社への転職を決意します。
ちょうど東日本大震災が起こった直後でした。
会社探しは年初めから行っていましたが、何とも言えないタイミングだと感じましたよ。

中国に来た理由は一つ。
中国語を習得するためですね。
転職は手段に過ぎなかったかもしれません。

留学 + 就職 → 留職

お金を貰いながら語学も学べる、って良いことではありませんか?

では、中国語を勉強する理由は?
ガーナでは、中国企業が未開発のエリアで道路を造っている光景を何度も目にしました。
都市部には必ず中華レストランがあって、餃子やチャーハンをよく食べたものです。

その頃からですね、中国を意識し始めたのは。

・将来、アジアNo1になって世界をリードする国になるよな、と。
・否が応にも中国人と働くことになる、と。
・きっと中国語が必要になるよな、と。

中国に来るまでじゃ中国語の知識ゼロ。
全く真っ白の状態から独学による猛勉強の日々が始まりました。
当たり前ですが、時々サボりながらの猛勉強ですね。

最初の1年は読み書きのみ。
ひたすら単語や文法を覚えました。
昼間は慣れない仕事をこなしつつ、退勤後にカフェでコツコツと、という日々ですね。

2年目以降はヒアリングと会話に集中。
今でも苦労はしていますが、慣れるまで相当な時間を要しました。
若い時と比べて聴力が鈍っているかも。

そして3年が経とうとした頃に、ようやく一つの目標としていた「HSK(漢語水平考試)6級」をクリアしたのです。

中国語漬けの生活であれば、20代の人なら2年あれば余裕で合格できるでしょう。
ボクは語学センスが無いので、3年かかってしまいましたが。

結局のところ、HSKは通過点に過ぎません。
テストの問題も単語も、普段の生活では殆ど使わない内容でしたし。
目的は中国語でのコミュニケーションを取ることですよね。

中国では毎週末サッカーに明け暮れています。
所属するチームに日本人はボク一人、メンバーは全員中国人です。

ガーナ同様、中国でもサッカーを通じて実践的な会話力を身につけました。
ただ、試合前は緊張で、試合に負けた時は無口になって、声を発することは少なめですけど。

2018年夏に大連→北京に転職してからも、サッカーを意識した生活は変わらず。
身体が言うことを聞かなくなるまでプレイし続けたいと思っています。

話のベクトルがサッカーに向いてしまいました。
ボクのプロフィールはこんな具合です。

現時点での人生キーワードは、

中国語 × サッカー × ゲーム × 旅 × ブログ

といった感じでしょうかね。
ゲームは仕事なので外せません。
旅については追々。

今年からブログが加わりました。
色々と挑戦中ですが、周回遅れでも、「掛け算」をどんどん増やしていきたいですね。

2020年3月10日 吉日

第2章:日本へ帰国

と、一旦区切りをつけて書いた↑経緯ですが、この時期から新型コロナウイルスが中国で大流行
瞬く間に世界へと広がり、2年以上続く闘いが始まりました。

当時はちょうど妻(中国人)が妊娠中です。
日本で出産することは決めていたため、急いでビザ取得の準備を進めていました。

と同時に北京の会社を退職。
日本に支社を持つ中国IT企業に転職します。
(友人の助けもあって、スムーズな転職活動が行えました)

勤務地は東京ですが、日本は入国制限を掛けており、すぐには帰国はできません。
仕方がないので、北京から大連に戻って、リモートワークを開始です。

この辺からですね、働き方をマジメに考えるようになったのは。
良くも悪くも、新型コロナウイルスが大きな転機となりました。

中国企業の東京支社に入社して、大連で働く。
不思議な感じであります。

少しの間だけ深圳に出張勤務もあったのですが、基本的にはオンラインで仕事が完結。
「出社せずとも働けるんだなぁ」「自宅でも普通に仕事が進むんだなぁ」
と出勤の意味の無さを実感し、今後もオンラインで働くことを決めました

中国繋がりのIT関連の仕事に付けたのも、無関係ではないでしょう。
世界的な経済が低迷する中、うまく転職できたのは本当に運が良かったと思います。
(ちなみに今の会社は、かなり勢いのあるサービスを世界中に展開しています)

そんなこんなで半年が経過し、ようやく妻のビザが下りました。
1日の感染者数が300人台まで落ち、大連→東京行のフライトも手配完了です。

この時点で妊娠8ヶ月。
本当にギリギリのラインで日本への帰国ができました。

ビザ申請の際に、日本での出産を強く希望する旨、何ページにも渡る手紙を添えたのが功を奏したかもしれません。

2020年12月、無事に元気な長男が生まれました。

ブログ休止

日本の戻ってからもブログは続けていました。
しかしながら、初めての子育てを体験。
引き続き、東京の住居でリモートワークをしつつ、家事・育児に励みながら、そしてブログの執筆……。

やっぱり、無理ですね。

生後5ヶ月目くらいまでは24時間体制で授乳&面倒。
仕事量は無理に増やすことなく、騙し騙しサボりながら対応していましたが、体力的・精神的にキツイ状況が続きました

もちろん、まとまった十分な睡眠は摂れません。

なので、ブログの更新は一旦ストップすることにしました。

そこからは平日は育児に70%、仕事30%くらいの時間配分。
休日は100%パワーを子育てに注ぎます。

やっぱり、子どもの成長を見守るのは、すごく楽しくて幸せですね。
伸び悩むブログに比べたら……苦痛にはほとんどありません。

ただ、たまにストレスが爆発して、近所迷惑になるくらいの夫婦喧嘩に発展しますが……。
それも今では良い思い出。

会社に行くことなく、一日ずっと家族と触れ合える空間にいるのが、何よりも素晴らしいと常々感じています。

ブログ再開&仮想通貨に興味

時間が経つのは早いものです。
年を取ったのもあるのでしょうか。

子どもはみるみるうちに大きく成長。
ハイハイを卒業して、一人で歩けるようになりましたね。

少しずつ言葉を理解できるようなって、笑顔も絶えません。
アッという間に1歳になると、なんとか少しずつ時間に余裕が生まれてきます

人間、慣れって大切ですね。

子育て中もずっとブログのことを考えてきました。
いつかまた執筆するという気持ちをもって
それが、今この時なのでしょう。

意を期して、2022年1月よりブログを再開。
加えて、本格的にブログで稼ぎたいとも思いました。

ウォーミングアップを終え、これからが本番です。

新型コロナウイルスが収まることなく、リモートワークは続いています。
でもいずれまた、通常の生活が戻ってくることでしょう。

その時には会社に行かずとも、家族を養っていく力が備わっておかなければいけません
これからもずっと家で仕事を続けていくと決めたので。

なのでブログを収益化するには、今の時代の波に合ったテーマ記事を選ぶ必要がありました。
何にしようか……と眼に留まったのが仮想通貨でした。

もっと言えば、

・仮想通貨
・NFT
・ブロックチェーンゲーム

ですね。

実は中国で生活している時にも仮想通貨には興味がありました。
ただ政府の規制が厳しく、安心しながら手を付け始めることはできません。
(のちに中国では仮想通貨が「全面禁止」になりましたね……)

だからまさに良いチャンス。
といった具合で、少しずつ仮想通貨やNFTの勉強を始めます

と同時に学んだことをブログで発信です。
まだ日本では参入者は多くないでしょう。
伸びしろ産業だという期待と、ボクと同じように前に一歩踏み出したい方へ届いたらいいなぁ、と願いを込めて、毎日執筆しています。

また流行りのNFTに絡んで、ゲームで稼げるかも挑戦中。
ちょうど自分にピッタリなブロックチェーンゲームを見つけました。
(リアルタイムのサッカー試合とリンクした「Sorare」です)

現在進行中の掛け算は、

中国語 × サッカー × ゲーム × 仮想通貨(ブロックチェーン) × ブログ

でしょうかね。

まだ子どもは小さいですし、新型コロナウイルスの影響で各地・各国には行けないので、「旅行」はスタメン落ちです。

まだまだ知識や経験が追い付いていませんが、周回遅れでも、前に進んでいきます。

2022年4月 吉日

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